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2015 Aug. 7

ジェントルマンの必需品

最近は帽子を小粋にコーディネートしている老若男女が増えているが、昔に比べればまだまだ帽子着用人口は少ないと言える。

帽子を小粋にコーディネート

大正末期から昭和初期頃、日本が連合国の一国として参戦し、戦勝国となり、国内事情も好景気に沸き、若い男女が同盟国であるイギリスをはじめとするヨーロッパの先進国やアメリカの流行や風俗の模倣をするようになった。そして、西洋文化の影響を受けて新しい風俗や流行現象として登場した先端的な若い男女が巷を闊歩した「モボ・モガ」時代、ある意味、帽子は必需品として存在感を示していた。

従来、洋装は上流階級の正装として高価で限定されたものであったが、1920年頃より中産階級以下にも広まり始め、「大正デモクラシー」の時流に乗り、個人の自由や自我の拡大が叫ばれ、進取の気風と称して明治の文明開化以来の西洋先進文化の摂取が尊ばれた。

「モボ・モガ」時代

新しい教育の影響も受け、伝統的な枠組にとらわれないモダニズムの感覚をもった青年男女らの新風俗が、近代的様相を帯びつつある都市に溢れ脚光を浴びるようになった。

当時の代表的な「モボ」ファッションは、山高帽(ボーラーハット)・ロイド眼鏡・セーラーパンツ・細身のステッキなどが広告などから見て取れる。ちなみに、「モガ」ファッションは、スカート丈は膝下で、ミディアムからロング。その他、釣鐘型の帽子「クロッシェ」やショートカット、引眉でルージュや頬紅などが特徴的。ただし、パーマやマニキュアなどは昭和に入ってからの流行となる。

モボ・モガ

山高帽(ボーラーハット)とは、イギリス発祥の帽子で、「クラウン(帽子の山の部分)」の高い帽子の総称として用いられる場合が多い。堅く加工したウールのフェルト製の帽子で、半球型の「クラウン」と巻き上がった「ブリム(帽子のつばの部分)が特徴。

Bowler hat

もともとは乗馬用の帽子であるが、上流階級がかぶるシルクハットと労働者階級がかぶるフェルト製ソフトハットの中間的な帽子として街中で着用する人達が増え始め、19世紀末にイギリスで人気がピークに達した。その後、チャーリー・チャップリンの映画の登場人物やルネ・マグリットのセルフ・ポートレートである「LE FILS DE L'HOMME/The Son of Man」という絵画、そして、多数の著名人に愛用されたこともあり世界中に普及したが、イギリスでは1960年頃には廃れてしまった。

チャーリー・チャップリン
LE FILS DE L'HOMME/The Son of Man

一方、日本では明治の末から男性の間で流行りはじめたのがカンカン帽。そして、大正に入ると洋装・和装問わずカンカン帽をかぶるスタイルが大流行、昭和初期まで流行は続いた。叩くと「カンカン」と音がするほど固い帽子であることから、カンカン帽という俗称が定着したという。

当時は、「紳士たるもの外出時には帽子を着用するものだ」というのが常識であったため、成人男性の帽子着用率はひじょうに高く、特にカンカン帽の人気は高く、職場においても、夏場の正装として受け入れられていたようだ。

カンカン帽

ちなみに、カンカン帽は麦わら帽子の一種で、英語では「ボーター(Boater)」、フランス語では「キャノチエ(Canotier)」という。水兵や船の漕ぎ手のために作られた帽子が発祥とされており、海や川の水しぶきで帽子が柔らかくなって損傷するのを防ぐため、麦藁を平たくつぶして真田紐のように編んだ「麦稈真田(ばっかんさなだ)」などの素材をプレスで固く成型し、ニスや糊などで塗り固めることにより、軽くて耐久性のある帽子となっている。なお、天井と「ブリム」が平らなのが特徴で、「クラウン」は円筒形である。

余談ながら、カンカン帽と言えば、どうしても月亭可朝を思い出してしまう。

月亭可朝

そして、山高帽やカンカン帽以外で多くの人が着用したのが中折れ帽。この帽子は、「クラウン」の頭頂部中央を縦に折り込んだ帽子で、もっぱらフェルト製で、ソフトフェルトハットを略してソフト帽、もしくはソフト・ハットと呼ばれており、これは、シルクハットや山高帽など、硬く作られた帽子に対しての「ソフト」でもある。

ソフト・ハット

素材は兎の毛を固めたラビットファーフェルト、または、羊毛を固めたウールフェルト、他には綿や皮革で作られている帽子もあるが、ラビットファーフェルトの素材が断然高級である。形状としては、「クラウン」中央に「クリース(窪み)」があり、その先には「つまみ」と呼ばれる尖部がある。「ブリム」は前部を下げ、後部を高くするのが一般的。

中折れ帽で有名なのは、やはり「Borsalino/ボルサリーノ」。1857年にジュゼッペ・ボルサリーノにより創業され、現在はイタリアのアレッサンドリアに本社を置く老舗プランド。ある程度の年齢のオヤジにはお馴染みの、アラン・ドロンとジャン・ポール・ベルモンドが共演した映画「ボルサリーノ」を観て、「カッケ〜」と思った人も少なからずいるはずだ。

Borsalino

ちなみに、ソフト・ハット=ボルサリーノというイメージが強いが、これは「Borsalino」が柔らかいフェルト帽を販売するまでは、紳士帽子は堅く固めた製品であり、ソフトな帽子を始めて販売した事でボルサリーノがソフト帽の代名詞となったと言われている。

そして、オシャレさんの夏の必需品といえば、パナマ・ハット。パナマで作られる帽子と思われがちだが、本当のパナマ・ハットは、赤道直下の国エクアドルでしか育たないパハ・トキージャという、強くしなやかで、繊細な繊維をもつ椰子の一種の葉から作られるもの。そして、エクアドルでも、気温・湿度ともにパハ・トキージャを加工するのに、最適なモンティクリスティで代々編まれてきた。ファッション性の高さと、優れた加工技術、実用性を兼ね揃えたモンティクリスティのパナマ・ハットは、セレブ御用達の高級帽として人気が高い。

パナマ・ハット

なぜパナマ・ハットと呼ばれる様になったのかという説については諸説があり、パナマ運河建設時に、多くの労働者がエクアドル産の帽子を着用していた事が、パナマ・ハットと名付けられたきっかけというのが有力。

多くの労働者がエクアドル産の帽子を着用

その上、19世紀中頃は、エクアドルの名前は広く認知されておらず、それらの帽子がエクアドル・マナビ県モンティクリステ産であるのにも関わらず、「パナマ産(Made in Panama)」として商業的に販売された。

パナマ・ハット

2世代前はモンティクリスティに2,000人いたと言われる織士も今は20人程度。若者に受け継ぐ教育は行われてはいるものの、彼らに匹敵する技術までは到着できていないのが現状だが、今でもモンティクリスティの街中では、帽子を編んだり乾燥させている風景があちらこちらで見かけられる。

今でもモンティクリスティの街中では、帽子を編んだり乾燥させている風景があちらこちらで見かけられる
今でもモンティクリスティの街中では、帽子を編んだり乾燥させている風景があちらこちらで見かけられる

そんなモンティクリスティには、驚くべきパナマ・ハットを生み出す、魔術師のような人物が住んでいる。アメリカの高級帽子会社「Brent Black/ブレント・ブラック」社のオーナーが、1988年にモンティクリスティの小さな村ピレの小さな家の中でパナマ帽を20年間編み続けているシモン・エスピナルの魔法のような技術に出合ったのだ。

シモン・エスピナル

その後、「ブレント・ブラック」社は、パナマ・ハット史上過去最高の、1つ100〜300万円の制作費を彼に支払い、年に3つか4つしか作ることのできないシモン・エスピナルのパナマ・ハットを、海外の愛好家のためにオーダーするようになった。

シモン・エスピナルの作るパナマ・ハットは、世界一繊細な編み方で、とてもしなやか、それでいて丈夫、誰にも真似することの出来ない技で編まれた帽子として、パナマ・ハットとしては破格の値が付けられるようになった。

シモン・エスピナルの作るパナマ・ハット

なかなか彼の作品にはお目にかかるチャンスはないが、幸運にも彼のパナマ・ハットを手にした人は「まるでシルクの様で、太陽にかざしてもその編み目から光が漏れる事がないほど、密に編み込まれて、帽子をかぶっている事を忘れる程の軽さ」と言う。そして、旅行鞄に丸めて詰め込んでも、丸めてポケットに入れて持ち運んでも、かぶる時には元の帽子の形が崩れることがない魔法の帽子。

シモン・エスピナルの作るパナマ・ハット

ひじょうに繊細なパハ・トキージャを使い、5ヶ月かけてそのベースをシモン・エスピナルが作成した後、さらに数週間かけて5人の職人より仕上げられるこのパナマ・ハットは、その名も「The Hat(ザ・ハット)」。彼は、今でも年間3〜4個の世界最高級パナマ・ハットを生み出している。

The Hat(ザ・ハット)

シモン・エスピナルのパナマ・ハットはチョイ無理でも、質のいいパナマ・ハットを提供するメーカーは多い。しかし、往年の映画に登場するような正統派紳士が少なくなり、休日のカジュアルなシーン以外では、なかなかパナマ・ハットをファッションに取り入れることは難しいと感じる人も多い。

ただ、帽子にはオトナの立ち振る舞いを変える力があり、オーバーな表現だが「オシャレの象徴」である。この夏のライフスタイルに、思い切ってパナマ・ハットを取り入れてみるのもステキなセルフプロデュースと言えるかも知れない。そして、チョイスはオフホワイトのエレガントなパナマ・ハットがオススメ。

オフホワイトのエレガントなパナマ・ハット

「Borsalino」のパナマ・ハットは、ソフト・ハットと並ぶブランドを象徴する帽子。1900年代初頭から作り始め、エクアドルのトキヤ草を使用し、ベテラン職人が精魂込めて作っている。

Borsalino

また、「Borsalino」のなかで上質な「エクストラファイン」に分類されるモデルもステキ。厳選された、滑らかできめの細かいトキヤ草を用い、熟練した職人の手作業で編み込まれる。さらに、ソフト・ハットと同じ木型を使い、時間をかけてフォルムを成形する。

Borsalino

1838年創業のアメリカのハットメーカー「KNOX/ノックス」は、第16第米国大統領のエイブラハム・リンカーンや石油王ロックフェラーが愛用した古き佳きアメリカの血脈を引き継ぐ由諸正しきブランドとして知られる。

KNOX

エクアドル産の本パナマを使ったモデルは、「あじろ編み」による繊細な編み目が張りのある「クラウン」を実現。強風の際に使う、黒の細い紐がバンドと一緒に巻かれている。

KNOX

1676年ロンドンで創業した現存する世界最古の帽子店「JamesLock/ジェームス・ロック」は、可能な限り最高品質の素材を使用してきたことで、3世紀半近くも続く伝統的なブランドを支えてきた。顧客も古くはネルソン提督、チャーチル首相、チャップリン、ダイアナ元皇太子妃とそうそうたるメンバーが顔を揃える。なお、エディンバラ公とプリンス・オブ・ウェールズ殿下によって王室御用達に認定されている。

JamesLock

「JamesLock」のパナマ・ハットは、エクアドルのモンテクリスティにおいて、腕利き職人がパナマ草を数ヶ月かけて手織りした一品。フワッとした柔らかな着用感が心地よく、ハットの内側に巻かれた汗止めにはレザーを使用する。

JamesLock

同じくイギリスを代表する老舗帽子ブランドで、シルクハットやボーラーハットで知られる「CHRISTYS'/クリスティーズ」は、1773年にスコットランドのエディンバラで誕生した。アルバート王子が1850年代に「CHRISTYS'」のシルクハットをかぶり始め、その後、王室御用達の帽子ブランドとなる。

CHRISTYS'

ゴールドでエンボス加工された「Christys' Londonの名をを刻んだ赤い帽子の箱は高品質の帽子の証。昔ながらの伝統のデザインを守りつつも、現代のエッセンスも取り入れたカジュアルな帽子も製作する。

ゴールドでエンボス加工された「Christys' Londonの名をを刻んだ赤い帽子の箱
Christys'
Christys'

パナマ・ハットの生産に定評のあるエクアドルのパナマ・ハット専業メーカー「ECUA-ANDINO/エクアンディーノ」は、パナマ・ハットの素晴らしさを世界に伝えることで、国の産業発展に尽くしたいという理念のもと1985年に創業。

ECUA-ANDINO

原材料である本パナマの編み上げから帽子の仕上げに至るまで100%ハンドメイドにこだわり、機械では決して表現できない素材の風合いを活かした帽子をプロデュースする。また、1万円以下のというリーズナブルな価格も魅力的。

ECUA-ANDINO

「TESI/テシ」は、1800年代半ばに創業したイタリアの老舗帽子メーカー。19世紀後期にヨーロッパとアメリカでの人気帽子ブランドとなり、主にストローハットを製造していたが、20世紀に入ると新しくパナマ・ハットも展開。

TESI

現在では世界各国で展開し、帽子ブランドとして確固たる地位を築いている。なお、「TESI」のパナマ・ハットは、目の細かな編み地に特徴があり、内側が透けるほど薄く作られている。

TESI

個人的には大の帽子好きで、コレクションも多いのだが、まだ本物のパナマ・ハットには縁がない。ジャンボに当選すれば「Borsalino」を大量に買い占めようと虎視眈々と狙っている今日この頃である。

 
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