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2013.May. 15
アメリカン・ポップアート

ポップアートとは、1960年代に盛んになった大量生産・大量消費の大衆文化を主題とする一連の芸術動向を指す。この語が最初に登場したのは1950年半ばのイギリスにおいてであり、戦後間もなく米軍兵士らと共に持ち込まれたアメリカの雑誌の切り抜きで作られたコラージュなどが制作されるようになったことがきっかけという。

第二次世界大戦後の疲弊したイギリスに豊かなアメリカから急速に浸透し、若者を夢中にさせていた広告やSFや漫画や大衆音楽などのアメリカ大衆文化に対する皮肉で客観的な目もあったが、これらを敵とするよりはむしろ現代を見直す新しい素材を提供するものとしてどんどん活用しようという発想が誕生。「ポップアート」という言葉は、商業デザインなどを指して「ポピュラーなアート」という意味で使用されたことに始まる。そして、身の回りにある大量生産の商品やそれらに囲まれた日常生活を題材とした作品が次々に生み出された。

ポップアート

実際にポップアートが盛んになったのは、ポップの元となる商品や大衆文化の発信地である1960年代のアメリカで、特にニューヨーク。戦後のイギリス人にとっては、戦後の日本人と同様にアメリカのカッコいい商品や大衆文化は眩しいものだったが、当のアメリカ人にとってはどこにでも売っているただの日用品で日常風景の一部であり、むしろ格好悪い物であった。ただ、当初はそれを美術に直接使うことは、アメリカ芸術の前衛にあったモダニズムの立場や保守的な観衆から思わぬ強い反発を受けた。

ニューヨークでは1950年代以来、抽象表現主義が全盛を極めており、人間より大きなキャンバスに色彩を展開させ、始めも終わりもない抽象的な色面で全面を覆うオールオーバーな絵画が主流を占めていた。より平面的で、より壮大で崇高な絵画を目指した彼ら抽象表現主義の人々は、モダニズムを信奉する立場であり、「グッド・デザイン」を規範とし、大衆文化を芸術の前進する方向とは逆らう「キッチュ」として退けていた。

これに対し、1950年代末にポップアートアーチストと呼ばれる人々が、廃物や既製品のがらくたなど現実から持ってきた物体を絵に貼り付けたり、標的や数字や星条旗の図柄など、およそ絵にはならないありふれたイメージを描き始め、モダニズムの好む「グッド・デザイン」に反するような行動を始めた。

彼らのようなアメリカのポップアートの作家は、しばらくの間は「ネオダダ」とも呼ばれていた。ポップアートには、その辺にある既製品をそのまま使用して芸術とするレディメイドの手法など、「ダダイズム」や反芸術が強く影響していたからだ。既製品や既成のイメージを使った彼ら「ネオダダ」は、抽象表現主義に取り組んでいたアーティストや抽象表現主義に飽き始めていた観客らに大きな衝撃を与えた。

その後、1960年代に入り、アメリカのポップアートの代表格ともいえる商業デザイナーだったアンディ・ウォーホルなどのアーチストが、コミックスの拡大模写によって世に出た。大量に印刷され、絵柄も似たり寄ったりの漫画は、既製のイメージの中でも最もキッチュで悪趣味なものではあるが、単純で力強い線などが魅力的であり「グッド・デザイン」を粉砕する威力があった。

アンディ・ウォーホルは、ペンシルベニア州のピッツバーグでスロバキア(当時はチェコスロバキア)の移民の子として生まれた。体は虚弱で、肌は白く日光アレルギーであり、赤い鼻をしていたウォーホルは、早い時期から芸術の才能があり、カーネギー工科大学(現在のカーネギーメロン大学)に進学して広告芸術を学んだ。

アンディ・ウォーホル

大学卒業後はニューヨークへ移り、「ヴォーグ」や「ハーパース・バザー」など雑誌の広告やイラストで知られるようになった。1952年には新聞広告美術の部門で「アート・ディレクターズ・クラブ賞」を受賞し、商業デザイナー・イラストレーターとして成功するが、同時に注文主の要望に応えイラストの修正に追われ、私生活では対人関係の痛手を受けるなど苦悩の時期でもあった。

後にウォーホルは、ただ正確に映すテレビ映像のように内面を捨て表層を追うことに徹する道を選ぶこととなる。そして、この間に、線画にのせたインクを紙に転写する「ブロッテド・ライン(blotted line)」という大量印刷に向いた手法を発明する。

1960年に入るとウォーホルはイラストレーションの世界を捨て、ファインアートの世界へ移る。「バットマン」「ディック・トレーシー」「スーパーマン」など、コミックをモチーフに一連の作品を制作するが、契約していたレオ・キャステリ・ギャラリーで、同様にアメリカン・コミックをモチーフに一世を風靡したロイ・リキテンスタインのポップイラストレーション作品に触れてからはこの主題からは手を引いてしまった。

ロイ・リキテンスタイン
アメリカン・コミックをモチーフに一世を風靡したロイ・リキテンスタインのポップイラストレーション作品

1961年、ウォーホルが33歳の時、身近にあったキャンベル・スープの缶やドル紙幣をモチーフにした作品を描いた。これがアメリカン・ポップアートの誕生であると言われている。1962年にはシルクスクリーンプリントを用いて作品を量産。自らをミーハーと称し、モチーフにも大衆的で話題に富んだものを選んだ。マリリン・モンローの突然の死にあたって、彼はすぐさま映画「ナイアガラ」のスチール写真からモンローの胸から上の肖像を切り出し、以後これを色違いにして大量生産し続けた。その他にも、ジェット機事故、自動車事故、災害、惨事などの新聞を騒がせる報道写真も使用した。

モンローの胸から上の肖像を切り出し、以後これを色違いにして大量生産し続けた。

その後、アンディ・ウォーホルはニューヨークにアルミフォイルと銀色の絵具で覆われた空間である、シルクスクリーン作品を刷る「ファクトリー (The Factory、工場の意)」 と呼ばれるアトリエを構えた。孔版印刷であるシルクスクリーンの原理は、平たくいえば「プリントゴッコ」のようなもので、作家が直接印刷に携わらなくとも制作できる量産に適した手法である。あたかも工場で大量生産するかのように作品を制作することをイメージして造られた「ファクトリー 」では、若い「アート・ワーカー(art worker; 芸術労働者の意)」を雇い、制作にあたらせた。また、同じ版を利用し、意図的にプリントをずらしたり、インクをはみ出させた作品も制作した。

その場所は、ローリング・ストーンズのミック・ジャガー、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのルー・リード、作家のトルーマン・カポーティ、モデルのイーディー・セジウィックなど多くのアーティストと呼ばれる人種の集まる場となった。

アンディ・ウォーホルとミック・ジャガー

ポップアートは映画や漫画などの大衆文化同様、観客の心を一瞬で掴む強い魅力的なイメージを持っているので、分かりやすく、しかも、アメリカの大量生産品や大衆文化をテーマにしているため、アメリカの豊かさを賛美する魅力的な芸術として歓迎された。しかし、逆にここからアメリカの大量生産品や大衆文化の悪趣味さや、商品を大量に消費し豊かになってもなお逃げられない死の影を見出す者もいた。

ウォーホルやリキテンスタインらポップアートの作家たちは、既存の文化や体制を否定するカウンターカルチャー時代における大衆絵画作家としても成功した。大衆文化の多くはマーケティングにより顧客を調査し、大量に販売し、使い捨てられることが常だったが、大衆側も工業製品的な音楽やイラストばかりでなく、多少歪でもアーティストと呼べる者が作った個性的な作品による知的刺激や現状への異議申し立てを求めていた。ポップアートも、商品やメディアに囲まれて育った世代の若者の原風景であるスターや商品を魅力的に描いて若者に刺激を与え、その版画作品は熱狂的に受け入れられた。

この度、ポップアートの「モナリザ」とも称される、アンディ・ウォーホルの最高傑作「200個のキャンベル・スープ缶」が日本初上陸する。そして、その話題の「アメリカン・ポップアート展」は、六本木の国立新美術館で8月7日から10月21日までの期間開催される。

アメリカン・ポップアート展

「アメリカン・ポップアート展」は、日本美術及び現代美術の両分野における世界有数のコレクターとして知られているジョン・アンド・キミコ・パワーズ夫妻が所有する、アメリカン・ポップアートの個人コレクションとしては世界最大級のコレクションの全貌が世界で初めてまとまった形で紹介される。

ポップアートの黎明期である1960年代から、パトロンとして、またコレクターとしての積極的な活動により、アート・シーンに大きく貢献したジョン・アンド・キミコ・パワーズ夫妻は、ポップアートがまだ評価を確立する以前からその真価を見抜き、作家を直接支援することによって、現在では個人コレクションとしては世界最大級のポップアート・コレクションを築き上げた。

パワーズ夫妻のコレクションは、アンディ・ウォーホルの「200個のキャンベル・スープ缶」をはじめ、ロイ・リキテンスタイン、クレス・オルデンバーグ、ジェイムズ・ローゼンクイスト、トム・ウェッセルマンら、アメリカン・ポップ・アートの巨匠たち、そして、ロバート・ラウシェンバーグ、ジャスパー・ジョーンズら先駆者たちの、代表作の数々を含んでいる。しかし、アメリカの美術館でも、その全貌を紹介する機会が持たれたことは一度もなかった。

アンディ・ウォーホルの「200個のキャンベル・スープ缶」

今回の「アメリカン・ポップアート展」は、パワーズ夫妻コレクションの全貌が紹介されるもので、ポップ・アートの魅力と真価を紹介したいと願う主催者の熱意と、日本出身であるキミコ夫人の母国に対する思いが出会うことにより初めて可能となったプロジェクトである。

巨匠たちの1960年代の最盛期の代表作を含め、絵画、彫刻、素描、版画、マルティプルなど約200点が展示され、アメリカン・ポップアートが総合的に紹介される。アンディ・ウォーホルをはじめとする巨匠たちの熱気あふれる芸術に触れる、待望久しい貴重な機会となること間違いない。


 
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