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2013.May. 4
北大路魯山人

1983年から連載が開始された「美味しんぼ」という漫画を昔はよく読んでいたものだ。「食」をテーマとして毎回様々なストーリーが展開される「美味しんぼ」は、グルメ漫画及び日本のグルメブームの火付け役となった作品と言っても過言ではない。

美味しんぼ

また、題材となる食べ物の種類も、和、洋、中、アジア、精進料理に庶民の食べ物までと幅広い。日本のグルメ漫画を代表する作品ではあるが、軽薄なグルメブームについては一線を画しており、コメ、鯨、食品添加物など食文化に関するもの、食と関係ない様々な社会的テーマについても問題を提起するストーリーもしばしば存在する。

東西新聞文化部の記者である山岡士郎と栗田ゆう子は、同社創立100周年記念事業として「究極のメニュー」作りに取り組むことになったが、ライバル紙の帝都新聞が美食倶楽部を主宰する海原雄山の監修により「至高のメニュー」という企画を立ち上げたため、両者を比較する「究極」対「至高」の料理対決がスタートすることになった。山岡は海原雄山の実の息子であるが、母親の死をめぐる親子間の確執から絶縁しており、「究極」対「至高」は料理を通じた親子対決の物語でもあった。

海原雄山

「美味しんぼ」が映画化されたときは、先日他界した三國連太郎が海原雄山役、そして、山岡士郎が三國の本当の息子である佐藤浩市が演じ、話題になった。三國が海原雄山を演じることについては原作者の要望であり、そのオファーの際に三國が士郎役として佐藤を指名したという。

ちなみに、三國と佐藤はこの当時はまだ確執の真っ只中であり、親子でありながら互いに「佐藤くん」「三國さん」と名前で呼び合う間柄。記者会見の席でもかなり気まずい雰囲気が漂い、役柄そのままの状態だった。

「美味しんぼ」が映画化

「美味しんぼ」の登場人物などの設定やモチーフには「北大路魯山人」に関連した事項を多く使用されていたことが目立っていた。海原雄山の芸術活動が書、陶芸、食にまたがる点は北大路魯山人と一致しており、孫弟子との設定をとっていた。また、海原雄山の経営する会員制料亭「美食倶楽部」は、魯山人が最初に創業した料亭と同名であり、山岡士郎行きつけの料理屋が「岡星」、魯山人の創業した料亭「星岡茶寮」から店名を拝借していることは間違いない。

この北大路魯山人という人物、晩年まで、篆刻家・画家・陶芸家・書道家・漆芸家・料理家・美食家などの様々な顔を持っていた。魯山人は母の不貞によりできた子で、それを忌んだ父は割腹自殺を遂げた。生後すぐ里子に出され、6歳で福田家に落ち着くまで養家を転々とした。この出自にまつわる鬱屈は終生払われることはなく、また、魯山人の人格形成に深甚な影響を及ぼしたとされている。6度の結婚はすべて破綻、2人の男児は夭折した。娘を溺愛したものの、その娘が魯山人の骨董を持ち出したことから勘当し、最晩年にいたっても魯山人の病床に呼ぶことすら許さなかったという。

20歳の頃から書家になることを志す。すぐに日本美術展覧会で一等賞を受賞し、頭角を現す。その後、町書家・岡本可亭の内弟子となり、1908年から中国北部を旅行し、書道や篆刻を学んだ。帰国後の1910年に長浜の素封家・河路豊吉に食客として招かれ、書や篆刻の制作に打ち込む環境を提供された。ここで魯山人は福田大観の号で小蘭亭の天井画や襖絵、篆刻など数々の傑作を当地に残している。

そして、敬愛する竹内栖鳳がしばしば訪れる紫田家の食客になることが叶い、訪れた栖鳳に款印を彫らせてもらうよう願い出る。その款印を気に入った栖鳳が、門下の土田麦僊らに紹介したことで日本画壇の巨匠らとの交わりが始まり、名を高めていくことになった。

1915年には福田家の家督を長男に譲り、自身は北大路姓に復帰。長浜をはじめ京都・金沢の素封家の食客として転々と生活することで食器と美食に対する見識を深めていった魯山人は、1921年に会員制食堂「美食倶楽部」を発足。自ら厨房に立ち料理を振舞う一方、使用する食器を自ら創作。1925年には東京・永田町に「星岡茶寮」を借り受け、会員制高級料亭とした。

北大路魯山人

1927年には宮永東山窯から荒川豊蔵を鎌倉山崎に招き、魯山人窯芸研究所「星岡窯」を設立して本格的な作陶活動を開始。1946年には銀座に自作の直売店「火土火土美房」を開店し、在日欧米人からも好評を博するようになった。1955年には織部焼の「重要無形文化財保持者(人間国宝)」に指定されるも辞退。1959年に肝吸虫(古くは「肝臓ジストマ」と呼ばれた寄生虫)による肝硬変のため帰らぬ人となった。

美食家として名を馳せた魯山人は、フランス料理の外見偏重傾向に対しても厳しく、渡仏の際に訪れた鴨料理店「トゥール・ダルジャン」で、「ソースが合わない」と味そのものを評価し、自ら持参したわさび醤油で食べたこともあった。

ちなみに、「美味しんぼ」の中で、海原雄山がフランス料理店で鴨肉を持参のわさび醤油で食べるエピソードは、この魯山人の実話をもとにしたものである。

つねに傲岸・不遜・狷介・虚栄などの悪評がつきまとい、毒舌でも有名で、柳宗悦・梅原龍三郎・横山大観・小林秀雄といった戦前を代表する芸術家や批評家から、世界的画家のピカソまでをも容赦なく罵倒した。この傲慢な態度と物言いが祟り、1936年に「星岡茶寮」から追放されてしまう。逆にその天衣無縫ぶりは、皇族の久邇宮邦彦王や吉田茂などから愛されもした。

美を愛し、食を愛し、偉才をふるったある意味昭和の巨人である北大路魯山人について、幅広く紹介する展覧会「魯山人の宇宙」が「うらわ美術館(ギャラリーABC)」で開催されている。波乱万丈の人生を送った魯山人の存在感の大きさと人気は根強い。魯山人の旧居である茅葺き屋根の民家「春風萬里荘」を鎌倉市北鎌倉より移築公開している笠間日動美術館で所蔵する陶磁器をはじめとした約90作品を展示し、併せて魯山人語録、著名人との交流を示す写真資料なども紹介されている。

展覧会「魯山人の宇宙」が「うらわ美術館(ギャラリーABC)」で開催されている

なお、「魯山人の宇宙」は、2013年6月23日まで開催されている。北大路魯山人の生き様や世界観に興味ある人は、ぜひ訪れてみたい展覧会である。


 
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