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2013.Jun. 3
メキシカン・スーツケース

今年はロバート・キャパの生誕100年の記念すべき年だ。2月3日の「日々雑感」では、横浜美術館で「ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家」展が開催されていることを掲載した。

スペインで1936年に共和国政府が成立すると、それに反対するフランコ将軍派との間で内戦が起き、人民戦線兵士がコルドバで頭部を撃ち抜かれ倒れる瞬間をとらえた「崩れ落ちる兵士」は、ニュース誌に幾度となく掲載されたロバート・キャパの代表作。彼は報道写真家として戦争の生々しい現場をフィルムに収めるとと同時に、温かな視線で人々の暮らしの様子も撮り続けた。

「崩れ落ちる兵士」

横浜美術館での展覧会では、キャパの公私にわたるパートナーで、スペイン内戦の取材中に27歳の誕生日の6日前という若さで亡くなったゲルダ・タローの作品がまとめて紹介されれたのは日本では初めてのことだった。2007年にニューヨークの「ICP(国際写真センター)」でタローの初めての個展「Gerda Taro Retrospective」で展示されたオリジナルプリントを中心とする写真83点や、キャパの実弟から横浜美術館に寄贈されたキャパの作品193点が掲載誌などと併せて一堂に展示された。

ゲルダ・タロー

そして、この夏「メキシカン・スーツケース ロバート・キャパとスペイン内戦の真実」という映画が公開される。2007年にメキシコで発見された3つの箱に関する物語である。第二次世界大戦の初めの混乱のさなか、行方知れずとなっていたこの箱の中には、伝説的な写真家ロバート・キャパが撮影したスペイン内戦の写真のネガが数多く入っていた。70年の時を経て発見されたその箱は、やがて「メキシカン・スーツケース」という名で知られるようになった。

「メキシカン・スーツケース ロバート・キャパとスペイン内戦の真実」

パリのキャパのスタジオから消えたネガがどこかに残っているという噂は、長い年月の間に渡って囁かれていたが、「国際写真センター(ICP)」の創設者でキャパの弟でもあるコーネル・キャパによりその探索は続けられていた。そして、ついに126本のロールフィルム、4500枚のネガが入った「メキシカン・スーツケース」が発見されることにより、それは伝説から現実の事件として注目を浴びることとなった。

ついに126本のロールフィルム、4500枚のネガが入った「メキシカン・スーツケース」が発見

そこには、ロバート・キャパが撮った写真だけでなく、彼と同じくスペイン内戦を取材した恋人の報道写真家ゲルダ・タローとデヴィッド・シーモアの写真が多く含まれており、あらためて3人の写真家の足跡が辿られることになった。

ちなみに、デヴィッド・シーモアは1911年にロシア帝国領ポーランドのワルシャワに生まれ、ワルシャワの美術学校、パリのソルボンヌ大学で学び、在学中に写真に目覚めた。その後、スペイン内戦やチェコスロヴァキアなどの取材活動に精力的に取り組んだ。彼の写真は、戦時下で虐げられた一般の人々、特に子供たちに焦点を当てていることで有名。1940年にニューヨークに移り、1942年にアメリカの市民権を取得した後、第二次世界大戦中ではアメリカ軍に従軍し報道写真家として活動した。

キャパやアンリ・カルティエ=ブレッソンらとともに「マグナム・フォト」の設立に携わり、キャパの死後は会長も務めた。その後、1956年11月10日にスエズ運河付近を取材中に44歳でエジプト軍の銃弾に倒れた。

キャパとタローとシーモアは、それぞれハンガリー、ドイツ、ポーランド出身のユダヤ系移民で、1930年代の初めの文化的に開かれたパリに移り住み、のちにスペインに旅立つ。そのスペインで、新しく誕生した共和制民主主義派政権と、その打倒を唱えるフランコ軍とが内戦状態に突入。このとき3人が撮った戦火の写真は、スペイン内戦の最も貴重な視覚的記録として世界に発信されることとなる。そして、その数多くの写真は、いつの間にか行方不明となっていたのだ。

そして、その数多くの写真は、いつの間にか行方不明となっていたのだ

「メキシカン・スーツケース ロバート・キャパとスペイン内戦の真実」は、奇跡のように発見された数多くの貴重な写真と、かつてスペイン難民としてメキシコに渡った数少ない生存者たちの証言を通じ、スペインでは歴史上のタブーとして扱われ、封印されてきたスペイン内戦の真実を明らにする。さらに、戦場写真家ロバート・キャパの知られざる姿も浮き彫りにしていく。

余談ながら、スペイン内戦はスペイン軍の将軍グループがスペイン第二共和国政府に対してクーデターを起こしたことにより始まったスペイン国内の抗争。内戦は1936年から1939年まで続き、スペイン国土を荒廃させ、共和国政府を打倒した反乱軍側の勝利で終結し、フランシスコ・フランコに率いられた独裁政治を樹立した。そして、フランコ政権の政党ファランヘ党は自らの影響力を拡大し、フランコ政権下で完全なファシスト体制への転換を目指した。

内戦中、政府側の「共和国派(レプブリカーノス)」の人民戦線軍はソビエト連邦とメキシコの支援を得た一方、反乱軍側である「民族独立主義派(ナシオナーレス)」の国民戦線軍は、隣国ポルトガルの支援だけでなく、イタリアとドイツからも支援を得た。この戦争は第二次世界大戦前夜の国際関係の緊張を高めた。また、共産主義とファシスト枢軸との間の代理戦争との見方がなされていた。この戦争では特に戦車および空からの爆撃がヨーロッパの戦場で主要な役割を果たし注目された。戦場マスコミ報道の出現は空前のレベルで人々の注目を集め、そのため、この戦争は激しい感情的対立と政治的分裂を引き起こし、双方の側の犯した虐殺行為が知れわたり有名になった。

戦場マスコミ報道の出現は空前のレベルで人々の注目を集めた

他の内戦の場合と同様に、このスペイン内戦でも家族内、隣近所、友達同士が敵味方に別れた。共和国派は新しい反宗教な共産主義体制を支持し、反乱軍側の民族独立主義派は特定複数民族グループと古来のカトリック・キリスト教、全体主義体制を支持し、別れて争った。戦闘員以外にも多数の市民が政治的、宗教的立場の違いのために双方から殺害され、さらに1939年に戦争が終結したとき、敗北した共和国派は勝利した民族独立派によって迫害された。

ちなみに、国家として人民戦線側を支援した数少ない国の1つであるメキシコは、ラサロ・カルデナス政権の下、知識人や技術者を中心に合計約1万人の亡命者を受け入れた。亡命者は知識階級中心だったので、彼らがメキシコで果たした文化的な役割は非常に大きいものがあり、例えばメキシコ出版業界の元締めである「フォンド・デ・クルトゥーラ・エコノミカ社」は、亡命スペイン人達によって設立された。

この映画が持っているもう1つの視点は、ネガがなぜメキシコで発見されたのかという問いを通して、メキシコが当時果たした独自の役割、現在も癒えることのないスペイン内戦の傷跡、さらには、歴史の記憶回復に至るまでの動きを追っていることだ。

この映画が持っているもう1つの視点

今では生存者も少なくなった当時を生きた世代、そして、その子供や孫の世代が語るスペイン内戦についての記憶、歴史。この映画は、発見された写真や多くの証言から「スペイン内戦」を遠い過去のこととしてではなく、現在のスペインが抱える問題として捉えようとしている。

なかなか興味深い映画である。なお、公開は8月下旬に予定されている。


 
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