モンブラン。

いつの間にか洋菓子やケーキがスイーツと呼ばれるようになった。ケーキ職人はパティシエやパティシエールとなる。随分と洗練されたものだ。デパ地下のスイーツ売り場のショーケースの中は、まるで芸術作品が誇らしげに飾られているかのような佇まいである。

デパ地下のスイーツ売り場のショーケースの中は、まるで芸術作品が誇らしげに飾られているかのような佇まいである。

日々数多くの新作スイーツが登場するが、個人的に注文するときは、「苺のショートケーキ」や「モンブラン」といった昔ながらの定番を頼むことが多い。

かつての「モンブラン」と言えば、栗きんとんみたいな黄色いペーストを渦巻き状にぐるぐるっと盛ったのが一般的だったが、最近では茶色いペーストで、しかもぐるぐるってな感じではなく、一定方向に絞りだした均整のとれたものが目につくようになった。黄色い「モンブラン」は、一体いつから茶色の「モンブラン」に取って代わられたんだろう。

「モンブラン」はフランス語で、直訳すると「白い山」。フランスとイタリアの国境に位置するアルプス山脈の最高峰を指す。よく考えてみれば、「白い山」というネーミングは不可解だ。こんもりとマロンペーストを盛った形は山に見えなくもないが、黄色い「モンブラン」にしろ、茶色い「モンブラン」にしろ、白と形容するには無理がある。

ただ、そう呼ばれた訳は、発祥までさかのぼると合点がいく。「モンブラン」のルーツには諸説あるが、最も有力なのが、アルプス山脈を望むフランスのサヴォワ地方やイタリアのピエモンテ州などで食べられていた郷土菓子という説である。フランスでは「モンブラン」、イタリアでは「モンテビアンコ」と呼ばれるこの郷土菓子は、マロンペーストに、泡立てた生クリームを添えたもの。1900年に刊行された「グラン・キュイジーヌ」には、マロンペーストをドーナツ状に絞りだし、さらにその窪みに泡立てた生クリームを絞ったお菓子が「モンブラン」の名で紹介されている。

なるほど、これなら「白い山」と呼ぶのも納得。さらに、このお菓子がパリに伝わり、洗練されたものが現在フランスで食べられている「モンブラン」になったと言われている。「モンブラン」で有名なパリのティーサロンと言えば創業1903年の「アンジェリーナ」。当時、この店のパティシエの妻がイタリア人で、イタリアの郷土菓子「モンテビアンコ」をもとに現在の「モンブラン」をパリで初めて売り出したと伝えられている。

「モンブラン」で有名なパリのティーサロンと言えば創業1903年の「アンジェリーナ」。

ただし、メニューにいつ「モンブラン」が登場したか定かではないため、「初めて」かは疑問符がつく。ただ、この店の存在が「モンブラン」の普及に一役買ったことは間違いない。

「アンジェリーナ」の「モンブラン」は、メレンゲの土台の上に泡立てた生クリームを絞り、それを覆うように細いひも状の茶色いマロンクリームを絞る。冷蔵庫のない時代、このお菓子はテイクアウトの焼菓子ではなく、サロンで食べる「デセール(冷菓)」の一種として食べられていた。

「アンジェリーナ」の「モンブラン」

このパリ発の「モンブラン」は、土台がメレンゲであることを除けば、見た目は現在私たちが目にしている茶色い「モンブラン」そっくりである。元祖は、あの懐かしの黄色い「モンブラン」ではなく、茶色い「モンブラン」だったようだ。

ここで気になるのは、黄色い「モンブラン」の誕生の経緯だ。日本で初めて「モンブラン」を売り出したのは、東京・自由が丘のその名も「モンブラン」という店。創業は1933年。迫田千万億という人物が現在の東急東横線の学芸大学駅近くに開業したのが始まりだが、戦後すぐの1945年10月に、焼け野原となった自由が丘駅前広場にほど近い現在の場所に移転している。

「モンブラン」という店名は、登山が好きだった迫田が渡欧した際、秀峰モンブランを見て感動したことからつけられた。そして、フランス菓子の「モンブラン」をヒントに、店の看板メニューを作ろうと、日本独自の「モンブラン」が開発された。

迫田の「モンブラン」の特徴は、なんといっても土台にメレンゲでなくカステラを使用していることだ。土台のカステラをくり抜いたところへ、カスタードクリームと生クリームをたっぷり絞り、栗をまるごと一粒押し込んだ。その上に、バタークリームで縁取りをし、栗のペーストを円を描くように絞りだす。この栗のペーストがポイントで、迫田はフランス産のマロンペーストではなく、日本人になじみの深い甘露煮を使った。さらに、トップには焼いた白いメレンゲをちょこんと乗せる。このメレンゲは、アルプスの山々に残る万年雪をイメージしたもの。こうして出来上がったのが、大ぶりの日本流「モンブラン」だった。

日本流「モンブラン」

戦後になると、「モンブラン」は郊外の店にもかかわらず、一躍評判の店となっていった。大きくて美味しい、というのが人気の秘密。そして、「モンブラン」の名が広まると同時に、黄色い日本流「モンブラン」の知名度もどんどん上がっていった。

迫田は、「モンブラン」という屋号は商標登録したものの、独自に開発した黄色い「モンブラン」は商標登録しなかった。その意図は、日本洋菓子界の発展を願い、広く一般にこの洋菓子の銘柄を開放することを選んだからだと言われている。そのため、黄色い「モンブラン」はあらゆる洋菓子店で真似て作られるようになり、結果的に「モンブランと言えば黄色いモンブラン」と認識されるまでになった。

黄色い「モンブラン」がスタンダードだった日本で、本場の茶色い「モンブラン」が注目されるようになるのは1984年。その年、百貨店のプランタン銀座に「アンジェリーナ」の日本第1号店がオープンした。「アンジェリーナ」と言えば、パリで初めてモンブランを売り出したと伝えられている店である。そこで茶色い「モンブラン」が供され、脚光を浴びる。70年代頃から本場の「モンブラン」を食べさせるフレンチレストランはあったが、広く知られるようになったのは「アンジェリーナ」以降のことだ。

そして、現在はフランス産のマロンペーストを使ったものから、和栗のペーストへと流行が移り変わっている。おまけに紫いもの「モンブラン」など、もはや栗ですらない菓子にも名前が使われている。そうした広がりも、もとはと言えば日本人が慣れ親しんできた栗という食材を使い、日本人好みの食感と味に仕立てた黄色い「モンブラン」が国民的人気を得たことがすべての始まりだった。

紫いもの「モンブラン」

昔ながらの黄色い「モンブラン」は、昨今のこじゃれたケーキに比べると、ゆうに2倍はある大きさ。フォークをざっくりと突き刺し、大きめの一片を口に放り込むと、いろんなクリームの味が口のなかで混ざり合う。甘さ控えめなんて言葉がない時代の、しっかりとした甘さで、ふわっとしたカステラの食感。味を言葉で表現するのは難しいが、出し惜しみをしていない感じがなかなかステキである。パティスリーでなくて、洋菓子店の味だ。

茶色い「モンブラン」も捨て難いが、黄色い「モンブラン」は日本が生んだ独特の美味。ぜひとも残したい昭和の味として、遺産認定したいものだ。

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